ものに刻む記憶

最初に買ったのはアクセサリーだった。
自分を格好良く見せるために、自分をもっと強く見せるために、理想の自分になるめに。
身につければ、変われる。そう願った。ものに思いを込めた。
ものに命を吹き込んだ瞬間、価値の始まりである。

「おお、カッコいいもん付けてんな」
幼馴染の山川は気づいた。気づいてくれる、というのは実に心躍るものだ。
「ああ、なかなかお洒落だろ。俺はファッションに目覚めたのよ」
「それドラマで主役が付けてた人気のやつやろ」
「え?」
このアクセサリーは店頭に煌びやかに飾ってあった。私はこの商品と目が合った。何か運命のような、偶然の出会い。
ああ、自分を変えてくれそうーという淡い期待。しかし、それは仕組まれている期待なのである。
ドラマで人気に火が付いたアクセサリーとなれば、最も客の目を惹くシステムを組み込むのが道理だ。
私は、すんなりと購入してしまったことを少し恥ずかしく思った。
が、後悔はしていない。カッコいいと思ったのは事実だ。

「やけに主張が強いと思った。そういうことか」
「お前らしくないね。人と同じようなものを買うなんて」
「俺らしさ、を変えたかったのかもな。人気かどうかは考えてないよ」
「俺はながされんよ。そういうチャラチャラしたようなものにはな」

次の週明け、山川は同じブランドの、少し高めのアクセサリーを付けてきた。
「おいおいおいおい、カッコいいもん付けてんな」

ものには情報が宿る。
人間はものに情報を宿すことができる。価値を与えることができる。
夢を見ることができる。自分を変える、大きく広げるきっかけになる。
ときにそれは他人とのコミュニケーションの引き出しにもなる。

そして、自分の記憶の引き出しにもなる。

私は、部屋の掃除中に奥に閉まってあった錆びたアクセサリーを見て、あの頃を思い出した。
思い出すことはなかったであろう、あの記憶。
とても微笑ましく思った。