中野結実、24歳。バンギャ。

中野結実、24歳。
ヴィジュアル系バンドの追っかけをしている。バンギャ、と言われるものだ。
彼女は独り暮らしで、親とは勘当の身である。
バイトをして何とか稼いでいるようだ。
本人曰く、ぎりぎりの生活をしている。

そんな事前情報だけで、青草は結実とお茶をする事になった。

強引すぎる。
一体どんな成り行きなのだろうか。否、成り行きもあったもんではない。

先週、AOの会が行われた後、絵梨佳と二人で食事をした。
残念なことに、とても健全なお食事会であった。
帰宅後に連絡があった。

「今日はありがとうございました!
食事美味しかったね、また行きましょう」

此処までは良かった。

「そうそう、結実さんとのお茶のセッティングしておくね」

「え、結実さんとお茶?」

「そう」

「それはいきなりすぎではないかい?
先方にも色々あるだろうし」

「大丈夫、私もいるから」

「いやいや、俺話したこともないぞ」

「じゃ、次話しましょう」

「やれやれ」
困った顔のスタンプを送っておいた。
絵梨佳は青草が想像していた性格よりも遥かにぶっ飛んでいた。

一般的に美女像というと清楚でおしとやかな印象を持ちやすい。
その神秘的な美を眺めてうっとりしていたいのだろう。
モノ言わぬ可憐な置物として。処女性への願望も込めて。

しかし、彼女は違う。

春野絵梨佳は動く。
他者に働きかける。
明朗快活、という言葉がぴったりくる。きてしまう。

美女が動いてしまったら、男はする事がなくなってしまうではないか。
と思いながら青草はため息をついた。
村上春樹氏ばりのやれやれ、である。

そんなこんなで、青草は絵梨佳と今カフェにいる。
大通りに面していて、程よく緑に囲まれた明るいカフェである。
天気が良かったため、爽やかな空気と街の雰囲気を味わう事ができるテラス席に座った。

結実が来た。
金髪なので多少遠くても一目で分かる。

「こんにちは」
「こんにちは」
「こんにちは」
軽い乾いた挨拶が交わされた。

「ほんと、不思議な人ですよね」
結実は絵梨佳を見て言った。

「まさか本当にお茶する事になるとは思わなかった」

青草も頷く。
「この前会ったばかりですからね」

絵梨佳が微笑みながら、
「まぁまぁ。時間は関係ありませんって。
仲良くしましょう」

テーブルの上には、ホットのコーヒーとミルクティーが二つ置かれている。
今日は天気も良く・・・というありきたりな会話から話が進む。
結実の服装は薄いピンクの花柄ワンピース。
財布も同じくピンクで可愛らしい。
女の子らしい、という表現が適切かは分からないがふんわりしている印象である。
リズリサというブランドのようだ。

ここでバンギャのファッションを誤解していたことに気付く。
青草は、パンクロックかゴスロリチックな強気なスタイルが好きなのだろうと勝手に解釈していたが(先日のAOの会では黒っぽい服にロックなスタイルであった)、結実は柔らかく可愛らしい服を好んで着るという。
バンギャ友達も白やピンクを基調とした服が多いとのことだった。

絵梨佳は、袖にボリューム感がある白いブラウスにサスペンダー付きのネイビーのワイドパンツである。写真を撮ってファッション雑誌の出版社に送れば、すぐに雑誌の表紙を飾ることができるだろう。
青草の服は語らずとも良いだろうが、念の為。
柄のついた(一見ガラの悪そうな)シャツにジーンズである。
と、一通り女の子のファッションチェックを経て、いよいよ話題は結実の話になる。

結実はバンギャである。

中学の頃からあるバンドが大好きで(メジャーではない)
ライブには北海道や沖縄であっても必ず行くし、
発売されるCDは10枚以上購入は当たり前、さらにタオル等の物販も
殆ど購入しているらしい。
ヴィジュアル系というだけあって、顔はかっこよくて
ファンは9割が女の子のようだ。羨ましいかぎりである。

「チェキはツーショットで1万」

「1万!!」
青草は目が点になった。ごま塩のごま粒を想像してほしい。

「相場は分からないけど、高くない!?」

「それをメンバー分だから×4」

「おっわ」

言葉にならない言葉が出た。
4万が一日で飛ぶわけだ。

「月何回くらい行くの?」

「月によって違うけど、2回くらいかな」

「ツアーとかも行くの?」

「勿論、チケット取れたやつは全部行くよ」

ファンとはこんなにも熱くなれるのか。
青草は少し感心していた。好きなことに対してお金を使う事に
とやかく言う必要はない。

「そのお金はどうやって貯めてるの?」

「いろいろ」

「いろいろ、か」

いろいろ、とはあらぬ妄想が膨らむ言い回しである。
バイトだけでは足りないのは確かだ。
青草も絵梨佳もそれ以上はつっこまなかった。
聞いても誰も得はしないだろう。

携帯のバイブ音が聞こえた。絵梨佳のものである。

「ちょっと失礼します」
絵梨佳が席を立ち、トイレの方へ歩いて行った。

青草と結実が二人残される。
席を立ったのは一人なのに、残されるという表現がしっくりくるのもおかしな話だ。

青草は何処から攻めようか迷っていた。
一旦友達関係を築いてからでないと、深い話などは聞けない。

「なんか絵梨佳ちゃんに言われた?」
先に結実が口を開いた。

「三人でお茶をしないかって」
青草は、結実の悩みについて相談に乗ってほしいと言われた件については黙っていた。
あくまで、結実自身の口から出るのを待つスタンスである。

「凄いよね、あの人を巻き込む能力」

「竜巻みたいだよね」
人差し指をくるくると回しながら、青草は応えた。

「青草さんって絵梨佳ちゃんの事好きなの?」

「え?」
思いもしない質問だったので驚いた。

「綺麗な人だな、とは思うよ」
大分濁した返答だった。
好きだ、という宣言をする必要もないし、
好きかどうかについて判断するのはまだ早い気がした。
最初の頃はその美貌と出会いの偶然性に心を動かされていた青草であったが、
どうも最近は良い様に使われているのではないか、という懐疑的で保守的な気持ちも生まれていた。
恋愛に傾倒するのはもう少し先でもいい、というのが心情であった。

「綺麗だよねー。何やっても許される顔だよね」
結実はテーブルに肩ひじを付きながら、ホットのミルクティーを飲む。

「そんなことはないだろう。いくら顔が良くたって・・・
あぁ万引きくらいまでなら許せるな」

「万引き許せちゃったら、結構何でもいけちゃうよね」

「俺が万引きしたら即捕まるよ」

「当たり前でしょ。何言ってんの」
二人は笑いあった。

「ほんと羨ましい。私も綺麗な顔に生まれたかったな」

「整ってると思うけどね」
こういう事を平気で言ってしまえるのが青草のいやらしい部分である。
眉、目、鼻、口は滞りなく定位置付近にあるし、嘘は言っていない。
化粧が濃い感じがするのは否めないが、それも個人の自由である。
カラコンで瞳を必要以上に大きくし過ぎている感じがするのは否めないが、
それも個人の自由である。
ピアスの数が異常に多い感じがす・・・自由である。
綺麗、の定義は人それぞれあるだろう。

「あんだけ綺麗なら悩みとかなさそうだよねー」
結実がカップを見ながら言葉を垂れ流す。

きた。いきなりチャンス到来だ。
青草はこの機会を待っていた。今日の仕事は結実のお悩み解決である。

「結実さんは悩みでもあるの?」

「ふっ悩みしかないよ」

結実はテーブルにほう杖をついた。リストカットの跡が生々しく見えた。
「こんな私生きてても仕方ないって思う」

「辛いの?」
青草は努めて軽く明るい口調で尋ねた。

「つまらないの。なんも」

「バンドは?」

「バンドは好きだよ。でもバンドしかないの」

青草の眉間に皺が寄る。
「バンドが生きがいってことにはならない?」

「んーわかんないんだよね。
バンドはもう追っかけなきゃいけないものなの」

好きなものが義務化されてしまうというのはよくある話だ。
何事も距離感は大事。
一つの物に没頭する事は、心のすべてをとらわれてしまう可能性がある。
一つの事に専念するのは、心の余裕を埋めてしまう危険性もある。
青草は距離を置きすぎて俯瞰的にしか見る事が出来ないのであるが。

「なるほどねぇ。バンドからちょっと離れてみてもいいかもね」

「他にすることがない」

「普段仕事以外は何をやっているの?」

「ゲーム」

「ゲームか・・・それも悪くないんだろうけど。
別の趣味を探すとか」

「そもそもお金ないし。友達いないし」

これだ。青草はこれが原因だと思った。
お金がない事と、友達がいない事。この二つが悩みの根底にあると感じた。

「お金も友達も必要ない趣味は沢山あるんじゃない?
といっても、俺も趣味が多いほうではないけれど」

自分で話してはいるが、説得力はないな、と思った。
青草自身、熱中している趣味と呼べるものがなかったのである。
コーヒーを口に含む。

「趣味って必要?」
結実が聞いた。

「うーん、人によっては、かな。つまらない人生だって落ち込んでいるなら、
何か見つけたほうがいいんでない」

「それって幸せ?」

「悩みはあるよ。
でも生きてても仕方がない、という結論には至らないな」

「わかんない。私はつまんない」

生きる意味を見つけられない、という点では青草と同じである。

皆少なからず抱いている悩みなのかもしれない。
感じる側の程度の問題でしかないのかもしれない。

「つまらない時もある、くらいに考えて置けばいい。
つまらないだけでは先に進めない」

結実は黙っている。恐らく彼女もそんなことぐらい分かっているのだ。
周りが暗くて見えなくなって、
何処かに跳ね返りを確かめたくなっているだけなのだ。

「新しい環境に足を踏み込むってのはどう?」

「グループに入るとか、新しい友達を作るとか難しくない?
作り方とかわかんないの。人見知りだし。昔からそうだった。
この前の会だって無理やり連れてかれたみたいなものだし」

「友達ねぇ。此処に少なくとも二人はいるな」
青草ははにかんで応えた。
こんな事を言うキャラだったかな、と別の思考が茶化している。

「マジか」
結実も少し照れた。明るい女の子の表情であった。

「春野さんの強引さがうつったかも」

相手の事を理解しようとする強引さは、傲慢では無い。それはきっと勇気である。

絵梨佳が帰ってきた。
「ごめんごめん」

「男?」
結実がにやにやして聞く。

「そうそう」
絵梨佳が応える。
青草と結実は一瞬目を合わせた。二人の視線が絵梨佳に向く。

「いや、仕事の」
絵梨佳は笑った。青草の鼓動は少し高まっていた。

その後は、三人仲良く下らない世間話をして
下らないくせにつまらなくもない平和な時間を過ごした。

同じ場所でも、違う毎日を見よう。