嘆くなら中身を変えよホトトギス

この世界から

美しさが失われていくのを見ていられない

この世界から

壮大さが消えていくのに耐えられない

言葉よ文学よ音楽よ芸術よ

科学に追いつめられる美学よ精神よ

壮大さに震える心を
忘れたくない

美しさに慄える心を
忘れてはいけない

―――いいえ。

それは違います。

追い詰められたのはあなたです。

美しさとはなんですか?

壮大さとはなんですか?

大自然に魅力を感じる、という事ですか?
人間の力の及ばないものに圧倒される事を望んでいるのですか?

自然はそんなに甘くありません。
切り取り方の違いに過ぎません。

あなたは飽きてしまった。
見慣れた風景に。
お馴染みの生活に。
何処へ行っても想像の域を超えなくなってしまった。
言い換えれば、あなたの経験が蓄積されたことで
想像力が逞しくなった。

ただそれだけのこと。
それは当然のこと。

科学のせいでは決してないのです。

美しさは絶対ではありません。
時代の変化と共に変わるものです。

器に収められた不思議な力。
器が変われば中身も変わるもの。

震える心を盲目的に美として焼き付けて
その奥に隠されたものを探そうともせずに
もう見れないのかと嘆いている。

自分の意見を押し付けるだけ押し付けて
あげく分かる人に分かればいい、と帰っていく。

あなたが変わらなければ
この先、あなたの前に美は現れない。

美しさを探す努力は怠らないようになさい。

きっと未だ知らない世界が
見つかることでしょう。

***

「嘆くなら中身を変えよホトトギス」
鏡花がノートパソコンの前で呟く。
「僻むなら何かしてみろほんとクズ、でもいいな」

テーブルを挟んで座る男が笑った。
「酷い言い様だな」

「失礼、心の声が漏れていたようです」

「君は豊臣派か。織田派に見えたが」

「私は何派でも無いですよ」

男は読んでいた本を閉じ、大きなソファから立ち上がり、キッチンの方へ向かう。
「コーヒーでもいれようか」

「ありがとうございます、頂きます」
鏡花もノートパソコンをシャットダウンして閉じた。

此処は男の自宅の応接間である。
どちらかと言えば、屋敷という響きの方が近い。
室内は広く、東と南の二面が大きな窓になっている。
天井には大きなシャンデリアが吊るされており、部屋の中央には四角い長テーブル。
それを囲むクラシックなソファと椅子。
実に古風である。
今は暗くてはっきりとは見えないが、窓の外には苔の生えた美しい庭園が広がっている。
池泉や庭石は闇にひっそりと佇んでなお、純然たる気品を纏っている。
そしてその奥は確認できない。正真正銘、真っ暗闇の樹木に囲まれている。

時刻は21時。大きなノッポの古時計が一際存在感を放つ。

「カウンセリングでもしているのか?」
男はコーヒーが入った高級そうなカップを持って戻ってきた。
テーブルに二つのコーヒーカップを置きソファに座る。

「いや、只の文通です」
鏡花は礼を示しながら目の前のカップを受け取った。

「君を見ていると宗教の教祖のように見えてくるよ」

「そんな大したものではありません。私は神にもお金にも興味が無いので」

「それは、宗教への皮肉かな?」

鏡花は微笑む。
「神を祀るにはお金がかかるようですから仕方ありません。
私がなるとしたら、せいぜい占い師が関の山でしょう」

「占い師?」

「道を示すという意味では」

「なるほど。しかし占い師と聞くと一気にインチキ臭くなるものだな」
男は笑いながら、煙草を手に取りマッチで火を付けた。
「なんだ結局金を取るのか」

「500円で占いましょう」
鏡花も口元を上げて応えた。

「何の為に文通なんてするんだ?」

「何でしょう。何の為に、という説明は難しいですね。
自分の為と言ってしまえればそれでしかない。
衝動に近いのかな。
見てみたいんです。彼の世界が変わるところを」

「慈善事業か?」

「の時もあります」

「じゃない場合もあるのか」

「彼の押し込んだ欲望を引き出してあげる訳ですからね。
その欲望が他人を巻き込んでも、社会に不利益をもたらそうとも
私の知るところではない」

鏡花はコーヒーを一口飲む。

「人間というものは硬い殻で覆おうとするんです。
その殻を壊してあげるんですよ」

男は肺に蓄えた煙草の煙をゆっくりと吐き出した。
真っ直ぐ丁寧に、その濁りを確かめながら。
「優しいんだな。
私からしてみれば欲望を押さえ込もうと言う奴は、信用ならん。詐欺師だ。
どんな手を使ってでも手に入れる、これが人間というものじゃないのかね?
ちっぽけな偽善に騙されている人々が可哀想だ。
この世は弱肉強食。
こんなもの小学生でも分かると思わんかね?」

「仰る通りで。
ただ、そう言うのなら、自分も食べられる覚悟というものがなければなりませんよ」

「当たり前だ。生きるか死ぬか。そこに価値があるんじゃないか。
私は生きるがね」

「そうですか。あなたは生きるでしょう」

鏡花は時計を見る。
「そろそろ時間ですね、始めましょうか」

「手筈は整っているのか?」

「滞りなく。
日付の変わる0時丁度に、手配した殺し屋が屋敷の裏手右門から入ってきます。
もしかしたらもうその辺に来ているかもしれませんね。
セキュリティセンサーは切っておいたので鳴りません。
あちらにも切ってある、と伝えてあります」

「心が踊るよ」

「相手は専門家ですので侮らないように。
あなたと私の他にこの屋敷に誰かいますか?」

「執事家政婦は帰らせた。誰もいないよ。幽霊は何人かいるかもしれんな」

男は笑いながら赤外線カメラを額につけ、銃をもつ。

「殺し屋を殺すヒットマンなんていい趣味をお持ちで」

「勘違いするなよ。
相手が殺し屋だから許される、とかそんなくだらない理由じゃないぞ。
殺し屋と殺し合うのが最高なんだよ。
つまらない殺しなど損でしかない」

「私も見物させてもらいましょう。
では、ごゆっくり。」

鏡花は部屋を後にした。

「私は生きる。生きるんだ」

男は煙草を全力で吸い込んだ。
満たす煙で肺の膨らみを感じる。

正常と異常を行き来して掴む、生の実感。
部屋の電気を消そうとスイッチに手を伸ばした時、
男は微かに震えるその手を見て微笑んだ。