AOの会、新たな門出

AOの会、当日。
青草は紺色のシャツにグレーの軽いジャケット、デニムパンツといった
落ち着いたフォーマルな恰好で出向いた。
緊張はあまりしないタイプだと思っていた。
しかし、服を購入し何を話そうかとあれこれ準備をして
いざ出陣してみると、心臓の鼓動はもうすでに早い。
何に緊張しているのだ。絵梨佳に対してか? 初めて会う人に対してか?
何も把握出来ていないサークルに対してか?
武者震いだ、と言い聞かせた。大丈夫、何とかなる。

会場は、広い公園内にある。
地域のコミュニティセンターのようなところで、
周りは森に囲まれていて、ところどころ木々に名札が付けられている。
自然を大切にしようという意志が感じられる場所である。
ベンチに座って話をしている老夫婦、
白いタオルを首に巻いてジョギングをしている女性、
ブランコに乗ってはしゃぐ子供たち、それを見守る保護者たち。

のどかな風景である。

普段このような時間帯に、このような場所にいることは皆無なので
とても新鮮に感じた。
パソコンや携帯電話の中にある仮想世界、
青草がいつも身を置くその場所よりも、広く明るく思える。

それは印象ではなく確かな感触であった。

現実世界は、色を持ち、温度を持ち、圧力を持ち、
触れられるほど確かな存在であった。
迷いはない存在。何の疑問もない現在。
昔はそれが窮屈に感じられていたはずなのに。
暖かな空気が記憶を呼び覚まし、急に切なさがこみ上げる。
吐き気を催した。
緊張と公園の暖かさと記憶が、脳を一度にぐるりと回ったからであろう。
感受性が豊かすぎて参る。どんと構えて置けば良いものを。
また違う思考が一切を断ち切る。
青草はこれを強制シャットダウンと呼んでいる。
そんなことを考えて歩いていると、立て看板が見えてきた。
このまま真っすぐでいいようだ。
両脇の大きな木を見上げながら少し坂を下ると、
左手に白く四角い建物が顔を出す。
この2階にある会議室で行われるようだ。
5分前に到着すると、すでにドアは開いていて中に人がいるのが見えた。
絵梨佳もいる。

「失礼します」
といって、中に入っていった。
見知らぬ顔が一斉にこちらを向いた。
初体験、というものはいつもドキドキである。

「こんにちは」
と営業用のスマイルを振りまく。他の人たちも、
「はじめまして、こんにちは」

「お、新顔だね。よろしく」
と声を掛けてくれた。青草はひとまず安心した。

「あ、青草さんおはよう」
絵梨佳が微笑みながらこっちに来てくれた。
知っている人がいるだけでこんなに心強いものなのか、
と現場から遠い脳が感じていた。
無論、現場から近い脳はいっぱいいっぱいだ。

「おはよう、いやぁなんだか緊張するな」
笑顔で返すも、顔が引きつっていないか心配である。

「大丈夫、みんな良い人だから」
彼女は自然な笑顔で話した。
”良い人だから緊張しない”という方程式は成立するのか
と現場からさらに遠い脳が思ったが、
”美しい彼女が味方=安心”という方程式が先に成立し、青草を救った。

「さぁ、みんな立ち話もなんだし席に着こうか」
大柄の男が場を仕切る。30代後半くらいだろうか。
いかにも頼れる兄貴分という感じだ。
会場内には、青草を含めて12人いる。年齢は20代~40代くらいだろう。
こういった施設で行うサークルなので、年寄ばかりを想像していたが
思ったよりも若い人が多い。

「初めての人がいるから皆に紹介しよう。青草君、自己紹介をお願いします」

「はい、青草賢治と申します。青色の青に草花の草、賢治は宮沢賢治の賢治です。
よろしくお願いします」

「うちの会に持ってこいの名前じゃないか」

「でしょう?」
笑顔で絵梨佳が応える。

「君はモテそうだね」

「いいえ、とんでもないです。
ポテンシャルはあると思うんですけどね」

とおどけて見せた。皆は笑ってくれた。

「ちなみに私はモテるぞ」
大柄の兄貴分は声が大きく通る。

「お金あるからね」
がっはっは、と豪快に笑って見せた。
青草は、笑った。皆も笑っている。

くしゃくしゃになった偽りのない笑顔から人の好さが滲み出ている。
緊張はこの人のおかげで吹っ飛んだ。ありがたい。
仲良く馴染めていけそうに感じた。

机の上には紅茶とお茶菓子が並べられた。
右隣には絵梨佳、左隣には若い男性が座った。

「さて今日は田辺さんの番ですね」

向かいの席に座っている、30代くらいの少し肥満体系の男が話し出す。

「今日は天気がいいですね。悩みを語るにはうってつけの日です。
暗くならなくていい。
私の悩みはね、煙草が止められないんです」

会場の人たちが頷いている。

「皆さんもご存知の通り、喫煙家は今は何処にいても煙たがれる存在になってしまいました。職場では肩身が狭い状態にあります。」

「分かるよ」
「喫煙所もだいぶ少なくなったよな」

青草が想定していたものよりもかなりライトな悩みだったので、
肩透かしを食らった。でもこのくらいが丁度いいのかもしれない。
私たちは別に精神科医でも心理学者でもないのだ。

「吸っている方はどれくらいいます?」
絵梨佳が皆に質問した。
ちらほら手が上がる。大柄の男も手を上げた。

「君は吸わんのか」
青草に質問が飛ぶ。

「止めました」
おぉぉ、と声が上がる。
「なんで止めたの?」

「明確な理由はなかったです。潮時かなって。
変えたかったんでしょうね、自分を」

「どうやって止めたんですか」

「特別なことはしてませんが・・・」
皆の目線が集まる。
「憧れていたアーティストが煙草を止めたのがきっかけです」

「よく止められましたね」

「自分でも驚きましたね。こんなことで止められるのか、と」

「そんなに固執するタイプではなかったんだろうね。
逆に何故吸い始めたのか聞きたい」

皆の注目が集まる。初見だからこその興味もあるのであろう。

「えっとそうですね、お恥ずかしい話なんですが」
青草は軽く手を組んで机の上に置いた。

「私が吸い始めたのは18の頃です。あ、警察の方がいたら勘弁してください」
「大丈夫大丈夫」
笑って相槌を入れてくれるのは助かるものだ。
迎え入れてくれる体制が整っているのが分かる。

「きっかけは当時の彼女にフラれたことでした。
フラれた理由は、何か違った、と。
私は彼女が思っていた私とは違う様でした。
もっと男らしくて強い存在だと思った、ということでしょう。
ひどく落ち込んでいたのを覚えています。
それを見て、ある先輩が煙草を進めてくれたのです。赤のラークでした。
そこで煙草を吸うようになったのです」

まさか自分の過去の話をこの場で話す事になろうとは思わなかったが、
仕方あるまい。こういうのを求められる集まりなのだろう。

「今思うと凄くダサく感じるのですが、始まりなんてそんなところですよね。
強くなれる気がしたんです。何か変えられるかもしれない、と。
で、それからずっと吸い続けていました。
多い時は一日1箱。
飲み会が在るときは2箱持って行かないと落ち着かないくらいでした」

「飲み会のときは手に持ってないと落ち着かなくなるんだよね」

「あるあるだな」

「ええ。煙草の持つ手を研究したり、煙でわっかを作ったり」

「ジッポライターの回し開け」

「あるあるー」
喫煙者たちが一斉に頷く。
こうした連帯感といったものが生まれるなら、
煙草にも多少メリットというものがある気もする。
青草自身、煙草を吸っていたことに関しては、いい経験をした程度に思っている。

「実は禁煙を試みたのは一回ではありません。二回ほど試しました。
その時の理由は煙草の値段が上がったからです。こんな高いもの買えるか、と。
一番長くて一ヶ月くらいでしたね。
仲良くしていた友人たちも吸っていたのでそれに甘んじてしまった。
値段が上がっても、吸う人は吸うんだなって自分で実証してしまいました。
で、二年前、テレビの音楽番組をたまたま見ていたら、
昔好きだったアーティストが最近煙草を止めた、と話していたんです。
衝撃でした。あぁ彼が止められるなら俺も止められるな、と思ったんです。
俺も止めないと駄目だ、と」

紅茶を少し口に含んで、再び続ける。

「不思議ですよね。それからは吸っていません。
煙草はあえて今でも家に残しています。手元にあっても吸おうと思いません。」

「見事に禁煙成功したわけですね」

「憧れていた人が止めた、だけでね。憧れって凄いねぇ」

「普段から色々なものに憧れておくといいのかもしれないね」

「でも一生禁煙しないといけない訳ですから大変ですよね」

「いや、そうでもないですよ。大変そうに考えてしまうだけだと思います」

「人によるのかね」

「その通りです」
絵梨佳が口を開いた。

「きっかけは人それぞれ。でもそのきっかけを聞くことで、
私に当てはめられないか、探す。これは大事な事ですね」

「それがこの会の主旨だからな」

「青草君の場合は、自分を変えるために煙草を吸って、
自分を変えるために煙草を止めたわけか」

「人間というものは、変えるために生きているようなもんだから」
大柄の男が話す。

きっかけをさがしたり、きっかけをつくったり、
人は考えていなくても、自然とそういうことをしているのかもしれない。
振り返ると、自分を変えてばかりな人生である。
目標があっても、自分が変わらなければ到達できない。
変わらないものは何一つない。

時間も、空間も、時代も、景色も、

言葉も、文化も、義務も、欲望も、

変わらないものは過去の事象だけ。

語るものが変わるのだから、過去も変えられてしまう可能性はある。
恐れずに変わっていこう。

出された紅茶を飲みながら、
紅茶もたまには悪くないな、と思う青草であった。