檻と熱~生活の無秩序化に対する考察

「そう言えば君はどうよ調子は?作品を書いているかい?」

「えぇ、つまらないものばかり書いています」

「そうか、つまらないか。
まぁ君のつまらないものは、私にとってはつまるものだろうから、
是非今度見せてくれ」

「お見せできるものがあればすぐにでもお見せしたいんですがね。
つまらない、以前の問題なんです。自分で満足していない。
そんなものをお見せするのは失礼でしょう?
毎日缶詰、悪戦苦闘しています」

「完璧主義は身体に毒だぞ?
たまには外に出て気晴らしにでも行ったらどうかね。
そうだ、先週末に舞台を見てきたんだ」

「何という舞台ですか?」

「ほら、今流行の”大名ブーム”だよ」

「あぁあの舞台ですか。どうでした?」

「衣装は煌びやかで音楽も照明もよかった。役者もカッコよかったぞ」

「どんな内容でした?」

「えっと…現代に戦国大名がやってきて、派手にやらかして
戦国時代に戻っていく…とにかくハチャメチャな話だったかな」

「…最近その手の話が多いですね」

「批評家のような目で見るのも大変だな。
流行りものはつまらんか」

「いいえ、そんなことありませんよ。
寧ろ流行りものを読み解けば時代が分かる、と思っていますよ」

「君はそういうものは書かないのかね」

「私は書きません。時代に合わせようとは思いません。それは他の人に任せればいい。
私は、私の情熱を代弁するために書きます。
その情熱が中々生まれてこないのが問題なのですがね」

「ほう。情熱ねぇ」

「最近は私自身、どうも「日常」というものを忘れている気がしてましてね。
朝起きて、昼仕事や勉強をして、夜に眠る。
子供の頃はそれが普通であり、大人になるにつれて煩わしくなった。
もっと自由に憧れた。
ところがどうでしょう。
今はもうその自由を殆ど手にしている、と言って良い。
夜中はいつまでも起きていられる。
家に居ても何でも手に入る。
いつでもテレビを見られる。
皆がそれぞれを生きている。
生活から離れている気分になる。
「形式」というものを軽視してきてしまった。
感情や感覚なんてあったもんじゃない。
ぼやっと靄がかかっている」

「自由でいいじゃないか。現代の生活に古いしきたりなど必要か?」

「それはむしろ古代に逆戻りしていないでしょうか?」

「ふ、面白いことを言うね」

「人間は生きるために集まった。
儀式が生まれ、祭りが生まれ、政治、そして文化が生まれていった。
言葉もそうです。これが形式。
集まって生きぬくために形式が必要だったんです。
生活というものはまず形式がある。
それが前提条件としてなければならない。
そこから意志や情熱といったものが沸き起こってくるんじゃないでしょうか」

「つまりなんだね、檻が必要というのか?」

「熱を生むためにはね」

「熱…ねぇ」

「だから私のように見せる側に立つものは、
普段から柵の中に身を寄せ、苦しむべきなのです。
日常生活の秩序を復活させ、缶詰の中に入り、
その抵抗、摩擦からくる情熱を勝ち取らなければならない」

「難儀な話だな」

「そしてそこに芝居の価値を見るんです。
情熱は形式に逆らって、その間に生じた緊張が2つの感覚をより高い次元へと登らせる。
学問なんかよりもっと高みの世界です。
見る側は生活を代表する。見せる側は情熱を代表する。
それが本来の芝居の形式。そういう図が見たいんです」

「さすがに考えている事が違うね」

「私がこの会に参加する理由はそこにあります。
楽しみなど要らない。むしろ悩みに飢えている。
監視されていることも私にとっては望むところです」

「監視?なんのことだ」

「では、また」

美谷はそう言って、部屋を出ていった。