12名の会談―巡る色と空

は和やかに進んだ。
日常生活を送るうえで少し気になっていること、
或いは悩んでいること、
迷っていること等を皆に発表し解決策を探る。

他人に聞いてもらうという方法が、気持ちを楽にさせる
というのは広く知られているところではあるが、
実際に体験すると改めてその効果に驚く。
話を聞いてもらったメンバーは和やかな表情になる。

ここでは全員が味方であり、悩みを共有するのだ。
問題解決という明確なゴールを掲げているので、
前向きな姿勢で、悩みに取り組むことが出来る。
悩みは個人の問題ではあるが、
背中を支えられているような安心感があると
見方や考え方、アプローチも変わる。
ここに精神科医や心理学者等プロはいない。
それ故誰かの見地に縛られることはない。

ここで少しメンバーについても触れておこう。

まず、大柄の人の好さそうな男。彼の名は本間慎一
この会のリーダーのようだ。
長テーブルの端、部屋の入り口から近い場所に座っている。

続いて、その左隣に鴨志田義人
ホワイトボードが本間と鴨志田の間の後方に配置されていて、
彼が記述する役目を負っているため
基本的に立っている。

本間の右隣に若い女性が座っている。
名前は石川麻衣。モデルをやっているらしい。
美しい端正な顔立ちと白く澄んだ肌が印象的である。
ほとんど発言はしていないが、優しい相槌がしおらしい。
この狭い会合に二人も美しい人がいるのは驚きである。

その右隣、私の左隣に岩永翔。彼は前途有望な音楽家のようだ。
黒いバイオリンケースが床下に置いてある。

そして、私の右隣に絵梨佳。

続いて中野結実。金髪で化粧が濃い。目にはカラコンを入れている。
ピアスも片側の耳に3個付いている。
なかなかパンチが効いているいで立ちなので、
少々浮いた存在である。
いや、偏見はよくない。
むしろこの会にふさわしい存在なのかもしれない。
この場に来なければならない、大きな悩みを抱えているのかもしれない。
ん?これも偏見だろうか。

テーブルの端、本間の対局に美谷君武という男性が座る。
彼は舞台の脚本や演出をしているらしい。
眉間に皺を寄せている。目力が強く、短髪で男前である。

隣に林博信。眼鏡をかけている。ザ、という冠詞を付けたくなるほど理系的な雰囲気で、
彼の発言は極めて論理的である。

その隣に駒津隆司。彼のギャグはめちゃめちゃ面白いらしい。見たところムードメーカー的な存在である。

そして、禁煙できない田辺正文。ちょいぽちゃおじさんだ。プログラマーをしている。

最後に長井加奈。彼女は二人の子供を持つ主婦である。
計12名でテーブルを囲んでいる。

今日参加できたのが12名、という事なので
会のメンバーはもっと多い。
絵梨佳に聞いてみると、
AOの会は全国規模で主にネットで交流しているようだ。
この集会は東京支部のオフ会とでもいったところか。

「他に何か意見を出しておきたい人はいるかね」
本間が話題を探す。

青草は思い切って聞いてみた。
「人って何の為に生きると思いますか」

皆の視線が集まる。
急に恥ずかしさが込み上げてきた。

「それは人類の永遠のテーマかもしれないな」

「私は家族の為に生きているよ。それだけで生きている」

「俺は楽しむためかな。毎日毎日を楽しむ。
未来のことなんて誰も分からないし」

「私は・・・自分の存在を証明する為ですかね」

「私も同感だ。満足のいく作品を可能な限り、残したいと思っている」

「仕事を手段と取るか、目的と取るかで変わってきそうですね」

「仕事を自分の生きがいに感じている人は、
自分の満足の為に生きている傾向がある」

「あまり深くは考えないな」

「個人的なもの?それとも人間全体の概念としての?」

「あぁ・・・」
青草は言葉に詰まった。この部分を曖昧にしていたことに気づいた。
テーマを鵜呑みにして、きちんと整理していなかったのである。
「そうですね。
最初は個人として考えていたんですが、
いつの間にか人間全体の理由に変わってしまっていたみたいです。
普遍性を求めるのは無理がありますよね」

「人それぞれですからね。
答えは一つではない。そもそも答えはない。
でも一人一人の生きる目的を集めていったら、
何かを得る事が出来るかもしれませんね」

横で絵梨佳がフォローしてくれた。

「理由はなくて良いんじゃないか。
生物が何かの目的の為に生きているとは思えないけど」

「目的を持とうとするのは人間の癖だろう」

人間の癖―――

その言葉が胸に刻まれた。

確かに、目的を欲するのは良いも悪いも人間だけなのかもしれない。
他の動物は、目的と行動は常に一致しているように見える。

「あるとしたら生殖活動か」

「子孫を残すため?」

「でもそれでは子供が生めなくなってしまった場合、
生きる目的が無くなりますね」

「繁栄させるため、ではどうかな」

「個々の判断によるな。今の時代、一人で生きていく道を選ぶ人も増えた」

「これ、といった目的を決めない方が幸せかもしれないし」

「目的があった方が快活に生きることが出来る」

「欲望を満たすためでは?」

「欲求といった点では、マズローに当てはめて考えると良い。
マズローの5段階説を知っているかい?
人はまず生理的な欲求を満たそうとする。
続いて安全を求める。
時代が進むにつれて、この欲求は容易に達成することが可能になった。
次に精神的な欲求、
すなわち愛・所属の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求へと向かう。
とするならば、自己実現の欲求を満たす為に生きるのが一般的なのかもしれないな」

「生きる行為を欲求に求めた場合、の話だ」
「たしかに」

「そもそも生まれたのは自発的ではないのだから、
自発的に生きなくても良いだろう」

「理想を掲げる人と、大義を掲げる人がいる」

「人生を権利だと主張するか、人生は義務だと主張するか、か」

「どっちでしょうね」

「正しいなんてないよ」

「人間だけだぞ、しょうもない主義を掲げるのは。
神や悪魔は主義なんぞを持たない」

「自分の中で軸を持たせないと、不安定になってしまうのだろう」

「不安なんですか?」
加奈が青草に聞く。

「いや、実は記事にしたいんです。
でも自分の小さい脳みそだと上手く考えが纏まらなくて」

嘘だった。青草は少なからず自分に対して不安を感じていた。
今後の人生の行方を。
暇をつぶすために生きる現状を。
誰かが言っていた通り、軸が欲しいのだろう。
すがりたい何か。絶対的な何かを求めているのであろう。

「色即是空、の考え方はどうだろう?」
美谷が話す。

「般若心経か」

「言葉は知っているけど、どういう意味なんでしょう」

「色、つまり形ある実体と認識しているものは、
空、何もない」

耳から入る言葉が認識できない。
皆の頭にクエスチョンマークが浮かんでいるのが見える。
美谷は席を立ち、ホワイトボードへ向かう。
どうやら授業をしてくれるようだ。
彼は舞台の演出等を行っているので、人に教えるという行為は慣れたものである。
色即是空、という言葉を書き、色と空の字をそれぞれ丸で囲んだ。

「般若心経とは、弟子の舎利子に向けた、真理の話だ。
その中で、この色即是空を説いている。
形あるものはすべて空の状態である、とね」

そして彼は空即是色、という言葉を付け足した。

「実はこのすぐ後に空即是色という言葉が続く。
空、実際に何もない状態であるからこそ、それは色になる。
絶対的なものなどない。変わらないものなどない。
それが生まれる、ということだ」

「なるほど分からん」

「なかなか難しい話になってきたな」

「つまり、とらわれるな、ということだ」

「生まれたものは何ものでもない。何ものでもないから生まれる」
鴨志田が言葉を付け加える。

「その都度生きやすいように形を変えれば良い。
それが生まれるということの本質だ、と」

「今日は食べるために生きる。
明日は誰かの為に生きる、その次はまた何かの為に生きる」

「これは・・・哲学的な話になってきたな」

「つまりなんだ?色即是空の為に生きるってこと?」

「何を聞いていたんだ、お前は」

「駒津さんの頭は空であるってことが証明されたな」
鋭いツッコみが入る。皆の顔に笑みが戻る。

「永遠に未完成。だから生きるのよ」

会は3時間ほどでお開きになった。
帰り際にAOの意味を本間に聞いてみた。
「AOってどんな意味があるんですか?」

「AOの意味は自分で決めていい。それこそ、空だ」
彼は笑って応えた。

「この会は、皆の意志で成り立っている。
決めるのは一人一人。
君の人生を少し良い方向に導けたら幸いだよ」

「来て良かったです。また是非お邪魔したいです」

「そうだ、名刺を渡しておこう」
本間は胸元から銀のケースを取り出し、名刺を差し出した。
青草も同様に名刺を渡し、連絡先を交換した。

「また近いうちに会いましょう」
本間は、にっこり笑って去っていった。

貰った名刺を眺めていると、
「今日はありがとうございました!どうでした?」
絵梨佳が後ろから声を掛けてきた。

「いや、楽しかったです。色々なご意見を頂いて勉強になりました」

「でしょう?」
上目遣いのいたずらな笑顔をみせる。
「はは、本当に。来てよかった」

「いや冗談ですよ。変な集会だと思われたらどうしようって思ってました」

「思ってましたけどね」

「やっぱり?」
ここに来る前は確かに疑っていた。
こんなにも善良な会があるなんて、
世の中はまだまだ知らないことが沢山あるようだ。

「今から時間あります?」

「はい、まぁ」

「ちょっとお茶でもしません?」

「お、喜んで」