現実の夢・夢の現実

「夢を持て」と子供に言う。

「夢を見るな、現実を見ろ」と大人に言う。

果たして相手への助言なのか、

自分を納得させる為の自戒なのか、

定かではない。

言っていることが違うじゃないか、という事もない。

別に、矛盾はしない。
時と場合によって、人の意見は変わるものである

目の前の二人に対して

「お前は夢を見てもいいが、お前は駄目だ」
という事もあるだろう。

不公平でも何でもない。

生まれてから死ぬまで意見を変えてはいけない決まりもない。

あくまで本人が決めるべき事項である。

しかし、これだけは覚えておきたい。

夢と現実とは、対立する概念ではない―――

夢が叶いそうにないから、現実を慎ましく生きよう、とか

現実は退屈の連続だから、輝かしい夢に向かって生きよう、とか

そういう相反する関係ではないのだ。

現実を現実足らしめるものは「行動の量」である。

見て、
聞いて、
嗅いで、
味わって、
触れて、

感じて、
意識して、
思考して、
脳や身体を動かした。

その量の分がそのまま、現実となるのだ。

つまり、

夢を叶えるための行動を限りなく増やせば、
夢という点に到達する。

というよりも
夢という枠に現実ができるのだ。

現実の夢は、夢の現実となるのである。