覗かれた序会

ランダに出て熱いコーヒーを片手に外を眺める。
これが最近の日課になっていた。

それまでの生活は独居房のような生活で、昼夜が逆転していた。

先月たまたま引っ越しをすることになって(なってしまって)、
心機一転しようと朝方の生活をするようになった。
幸い新居のベランダは幾分広く、太陽とのコーヒータイムを楽しみやすかった。

足元右隅には観葉植物が置いてある。

シュロチクのシュロアイビーのアイである。

どちらも寒さに強く育てやすい、初心者にはおすすめの植物だ。
こんな私でも2年程続いている(手間がかかる植物が無理なのはお察しの通りである)。

風水でも、ベランダは玄関の次に運気が入る場所とされ、
植物を設置することで悪い気を浄化し、幸せを呼び込んでくれるらしい。
と、店員が言っていた。
今のところ幸せが来た覚えはない。
悪い気が浄化されていたことを願うばかりだ。
いや冗談だ、そうでなくても観葉植物は心を癒してくれる。
心を寛容にしてくれるのだ。
これも冗談だ。

青草の住むマンションは6階建てで、部屋はその4階の角に位置している。

手摺から下を覗くと広い四車線道路が左右に伸びている。
西洋風の街灯と相性のいい街路樹が
軍隊の列を成すかの如く整然と連綿と続いていた。
大きな道路に相応しい豪華な装飾。
悪くない眺めだ。

気取って思索にふけっていると、
そこに青いワンピースを着た女性が
マンションの反対側の道を歩いているのが見えた。

青は実に映えた。

都心でもないのに珍しい優雅な色である。
颯爽と歩いてくるその姿にしばらく見とれていた。

ふと、いけない事をしている気分になった。
上から美女を覗く。相手は気づいていない。
この状況をいいことに上から下まで露骨に眺めまわす。
なんて助平な奴だ、と。

いや待て。

その瑞々しい青の彩に見入ってしまっていただけだ。
断じて彼女を見ていたわけではない。潔白だ。

いや待て。

だいたい頭は勝手に美女を期待しているではないか。
彼女を見て無意識に妄想していたのだ。彼女の顔、彼女の胸、彼女の尻の具合を。
やはり助平くそ野郎だな。

いや待て。

くそ野郎は余計だ。だいたいお前は―――

と、ある一事象を多角的にみようとする癖はこんなところにも発揮される。
この癖のせいで物事はなかなか前に進んでくれない。

気づけば、彼女は横断歩道の信号が青に変わるのを待っていた。
どうやらこちらへ渡ってくるようだ。

ふと目があった。

あってしまった。

彼女の(彼女の青の)引力が強すぎて、目を離すことができなかった。
思考は沈黙した。あんなに騒いでいた思考たちが一斉にだ。
呼吸も上手くできていたか微妙なところである。

しかし、次の瞬間

あろうことか青草は首でぺこっとお辞儀をしたのであった。

何という軽率な行為だろう。

下心が表面に浮き出てしまっている。

全く知らない面識もない通行人に対してよくもまあぬけぬけと会釈をしてくれたな。
この恥知らずが。
天上天下唯我ド助平くそ野郎が。だいたいお前は―――

と、まもなく彼女は首を横に傾げた。

想定外だった。

急に胸が熱くなり鼓動が速くなった。

思考はまたしても沈黙させられた。

その首の傾きに特定の意味合いを含んでいたのかは分からない。
見間違いだった可能性も否定できない。

がしかし、何かこうとても幸せな気分であったのは間違いない。

意思の疎通は図れなかったが、
間違いなく、単純な受信と送信の関係は成立したのだ。

この成立こそすべてであった。
成立された事で、青草は救われた。

ほどなくして彼女はここからでは見えなくなった。

もう二度と会えないだろうが、
この関係の成立は今後の人生に大きく貢献してくれるであろう。

今日を今日足らしめてくれる、
そんなくだらない贅沢なコーヒータイムであった。

思い立ったら吉日