メッセージは死角から

近は変な夢ばかり見る。
思い詰めている証拠だろうか。
寝ぼけ眼をこすりながら
不安を抱えた時に見る夢、を携帯で調べようとしたが
途中で面倒臭くなって辞めてしまった。
それよりも不安を取り除く努力をした方が
費用対効果が大きいというものだ。

青草は朝に弱い。アラームを設定しなければいつまででも寝てしまう。
子供の頃からそうであった。ただの怠けだろうと言われるが、
まさにその通りだと思っている。
朝に弱い、と自分で納得しているから尚更たちが悪い。

ここからベッド上の闘いが始まる。

恐らく人生で最強の敵であろう「起床直後」が立ちはだかるのだ。

もうラスボスと言っても過言ではない。
しかも毎朝ラスボスと闘わなくてはならないクソ仕様である。
ここで勝利しなくてはまた眠りの底へと落とされてしまう。

青草はいま精神と肉体どちらにも属さない世界に漂う気体である。

まずこの気体を素早く自分の器に取り込む。
精神と肉体が一致しているのを確認する。
そして肉体に指令を送り、とにかくがむしゃらにベッドから抜け出す。
事前のイメージはできた。

今だ!―――
目を開けて急いでベッドから起き上がり、カーテンを開けて陽の光を迎え入れる。
薬缶に水をためて火にかけ、コーヒーを入れる準備をする。
ここまでくれば安心だ。

ふぅ。今日もまた何とか勝利を手にできた。

ノートパソコンを開き、電源を入れる。
一度立ち上げて画面を見ると、自分が運営しているウェブサイトが開いていた。
コンタクト用のメッセージが届いている。

「AO」をご存知ですか?―――

AO? 青?
メッセージはこれだけだった。
他には名前すら記入されていなかったのでスパムメールの類だろうと思ったが、
一応コンタクトフォーム経由だったので、

「いいえ、存じ上げません。何かのブランド名、もしくは企画名でしょうか?」
と軽く返信しておいた。

AOをネットで検索してみたが、青草に関係していそうなものはなかった。
AO入試ではなかったし、あるとしたら苗字に「青」がついていることくらいだ。
ローマ字表記ならaoと書き始めるか。
そう考えると、ご存知どころではない。
人生をAOと共に過ごしてきました、と言えるレベルである。

学生時代の出席番号はずっと一番だった。

教室の左、窓側の列の一番前、そのポジションを守りぬいた。
出席確認では必ず最初だったので少しの遅刻も許されない。
そのことを不公平だと感じていたが、
授業中に校舎の窓から外を眺める権利を有していたので相殺することにした。
授業中に見る外の景色というのは、とても静かで気持ちがいい。
教師に気づかれない様に、皆が教科書に意識を集中する中で、ギリギリを狙って外を見る。
光に照らされる校舎と囲む木々、空の澄んだ青。
まさに絵に描いたような美しさを堪能できる。
体育の授業を行っているクラスがあれば、自分も早く外に出たいとワクワクしたものだ。
今となってはどれも良い思い出である。

コーヒーを飲みながらしばらく待っていたが、返信が来る気配はなかった。
どんな気配かは自分でも分からない。

「人は何のために生きるのか」についての記事は寝かせることにした。
執筆は複数を同時に進めることが多いので、
いい案が浮かぶまで寝かせることもしばしばある。
他記事のテーマ、仕事の内容、執筆のネタ、イベント情報、商品広告の有無、
掲載方法等諸々の項目を確認し、どのように書き進めるかの方針を決めて、
電源を落とそうとした。
サイトでのメッセージのやり取りは
携帯電話の方にも返信が転送される設定をしてあるので、特に心配はない。
そういえば・・・

昔aoという不思議なフォルダがパソコンに作成されていたのを思い出した。

中身がなかったので気味が悪くてすぐに消去した覚えがある。
あれは5年程前の事だっただろうか。思い出せない。
とにかく今のパソコンではなかったのは確かだ。
まさかと思い、コマンドプロンプトを開いて
aoと名の付くファイル、フォルダを検索にかけてみたが見つからない。
見つからなくて良かった。

窓に目を向けると、太陽が呼んでいる気がした。

日光浴がてら街へ繰り出してみることにした。どこかのカフェにでも入って記事を書こう。
ノートパソコン、小説、財布を鞄に入れて部屋を後にした。

今日の天気は雲一つない快晴である。

空を見上げると、遠近感のない真っ平らな青空が広がっていた。

実は空の方が主たる大地であり、私たちは蝙蝠のようにぶら下がっているのではないか、
と妄想した。あながち間違いではないけれども。

この街は景気が良いらしく、立ち並ぶ店にも活気がある。
普段であれば絶対に足を止めないであろう露店を、今日は覗いてみた。
夢ではない、画面越しではない、リアルな感覚を求めていたのかもしれない。
そこではガラス工芸品が雑多に置かれていた。
陽の光を浴びて、
透明さはその影響力を増し、繊細さが大胆さへと映え変わり、
より魅力的に感じられた。

「お、久しぶりじゃないか。元気かい?」
青草は露店の主人に声を掛けられた。

「え?」

身に覚えがない。だが、その台詞には聞き覚えがあった。
夢の中と状況が似ていたのだ。大聖堂にいた女の台詞だ。
正夢か?
しかし、前にいるのは残念ながらおっさんだ。
よく見てみる。
いやいや、どうよく見積もってもおっさんである。

「えっとすみません、どこかでお会いしました?」
と今度は聞いてみた。

露店の主人は大きく笑った。

「そうか。もう忘れちまったか。あれからだいぶたったからな。
そうかそうか。まあいい。
それならそれで結構だ」

青草には全く記憶がなかった。
ものすごく失礼をしてしまった気がして気が気じゃなかった。
気ばかり出て気て大変だ。

「あ、本当にすみません。なんか物忘れがひどいみたいなんです。最近私の頭おかしいんですよ」
と、笑ってごまかした。

「いやいいんだ。むしろ忘れた方が良かったのかもしれない。
お前さんの笑顔が見れて良かったよ」

そう言ったおっさんのしわくちゃな笑顔があまりにも優しく見えて、
いつ、どこで会ったのか聞きそびれた。

「四季は移ろい、歴史は流れ、生命は輪廻する。
環境は目まぐるしく変化するし、一つとして同じ光景はないんだ」

ガラス工芸品を手に取り、その美しさを確かめては、
その角度、その配置、その順番を少しずつ変えていった。
「ほらね」

「確かに、そうですね」

青草は軽い相槌を打つしかなかった。
こんな風に世間話をしてくる人もいないだろう。あまり関わりたくない人種ではあった。
しかし不思議と聞き流そうとも思わなかった。その言葉に力を感じたからだ。

「大切なのは、信じることだ。
自分を。この世界を。
そして、受け入れるんだ。
自分の悪いところだけを見ないように。
他人の愚かさばかりを見ないように。
すべてが正義ではない。
すべてが悪ではない。
辛いことも楽しいこともある。
酸いも甘いもある。良い時も悪い時もある。
世界には色々ある。
彩り鮮やかに広がっている。
こうやって話しかけられる事もある。
それを受け入れるんだ」

そう言って露店の主人は、青草にひんやりする物を手渡した。
それは、ガラス製の青い鳥の置物だった。

「君をはじめるためのおまじないだ」

青草は一つの“青い鳥”を手にした。
とても可愛らしい目をしている。
知らない人から物を貰ったのは初めての経験であった。

・・・と思った。

「お代は2500円だよ」

青草は、笑った。