鏡花の独白

私は屋上が好きだ。

高い所から見下ろす景色が好きだ。

高い所で吹かれる風が好きだ。

澄んだ空気と、広い空間、頼りない肉体。
地上に吸い込まれそうになる引力と魅惑。

世界と自分との距離を確認する。
地上と空と、間に立つ自分との距離を。

生と死との距離を確認する。

分かるんだ。

生と死の間には何もない事を。

私は月が好きだ。
蒼い月が照らすこの風景もこの地上も。

太陽よりも何倍も優しい光だ。

ドビュッシーの奏でた「月の光」が頭の中で流れている。
なんて優しいのだろう。

これを聞けただけで、生きた価値は十分あったと言えよう。

私はクラシックが好きだ。
部屋に居る時は大抵流しているし、
考え事をしている時も、こうして外に出ている時も、
頭の中でBGMは流れている。

私は音楽に生命の輝きを見る。
良曲は表情が豊かだ。
有限な音の緻密な組み合わせが不思議に無限の心を映し出す。

最近のお気に入りはバッハのブランデンブルク。
これは村上春樹氏の描いた小説の中にも登場し、
一気に私の愛するクラシックランキングのトップを勝ち取った。
今のところ2週連続1位の座に着いている。

好きなものを挙げていけばキリがない。

そしてそれは日々更新されるものである。

生まれてから現在に至るまで、ずっとトップを走っているものは一つもない。

好きもそうだが、大きく見て価値観というものは変わるものであり、
昔あれが好きだったから、
今もあれが好きでなければならない、
とこだわる必要はない。

私が嫌いなのは、この社会という塊だ。

往々にして変化を認めようとしない。
気持ち悪い、吐き気がする。

君は昔あれだったから、
今もあれなんだろう、なあ、そうだろう?

人々にレッテルを貼る事で均一化を図ろうとする。
性質を押しつけることで、統制しやすくする。

結果、冷えて固まる。

これが幸せというものだ。どうだ?幸せだろう?
皆そうなんだ、君もそうなんだ。

安いパッケージを作り、幸せを誇大広告宣伝し、同じ世界に誘導する。

人々は同じ道を歩もうとする。
道をはみ出たものは白い目で見る。
優越感か?嫉妬か?恐怖か?

それが幸せなのだろうか。

仮に幸せだとしても
幸せはそんなに偉いのだろうか。

元々価値は自分で与えるものなのに、人は他人に合わせようとする。

あれが美味しいと言われれば、あれを食べ美味しいと言い、

あれが美しいと言われれば、あれを美しいと思い、

あれが嫌いだと言われれば、あれを嫌いになる。

そこに自我はない。
これは個人主義、集団主義のテーマ以前の問題だ。
誰かに合わせなきゃ、という心理。
誰かに合わせた方が楽だ、という心理。

生命の輝きはどこだ。

紛争地域での必死に生を求めるような輝きは。
誰かを守りたいという純粋な愛は。

人々の物差しは種類が少なく短い。

でも、
私はそういう人々が可愛らしくてたまらない。
社会は嫌いだが、その中で暮らす人は大好きだ。

この複雑さ、煩雑さを受け入れてほしいのだ。

お前は危険だ、と思われるかもしれない。

この世界にはふさわしくない存在だ、と非難されるかもしれない。

それはそれで結構なことだ。

私は摩擦が好きだ。

抵抗を感じなければ人は進歩しない。

抵抗を感じなければ正しく自分を把握出来ない。

自分の思い通りに進む世界では(多くの人がそれを望むだろうが)、
行き着く先は何もしなくなる。

純粋で強い心は、抵抗の元に現れる。
不都合を処理された完全なる世界では、
人は酷く弱い存在になるだろう。

この世界を壊したい。

この世界を創りたい。

高い所で、風に吹かれて。

私は決めた。
生まれる、という期待を込めて
明日の朝を破壊しよう。

あぁ勿論

美しく丁寧に、だ。