その昔、世界は混沌であった。
混沌に秩序を与えたことで、事象を一つ一つ分けていった。
「型」を与えたのである。
そして世界は整理され、部分の集合体になった。
そこに意味や価値が生まれたのである。
型ありき―――
人も同じである。
人と認識するためには、人とその他に分けなければならない。
自分を確立させるには、自分と他者を分けなければならない。
自己を隔離させる。
周囲を拒絶する。
そうすることで自己を認識することが可能になる。
分けられた何かと何かの境界線が、型を生む。
無限に広がった世界から、有限が生まれる。
肉体という型がある。
精神という型がある。
言葉という型がある。
儀式も、政治も、
型を創ったことから始まっている。
型が無ければ、忽ち混沌に還ってしまう。
さて
あなたは自分の型を知っているだろうか。
自分を変えたいならば、まず自分の型を知るべきだ。
自分の型がないのであれば、それを創るべきだ。
模倣でよい。
先人たちの型を真似ぶことこそ、学びの本質である。
まず型を創り、その中に自分を注いでいく。
ゆっくりでもいい。
自分が少なくても構わない。
その縁を確かめてみるのだ。
どのくらい大きい型なのか。
ぬるぬるしているのか、熱を帯びているのか、光沢があるのか。
何が好きで、何を欲し、何を生みたいのか。
叩いてみてもいいだろう。
はねっかえりはあるだろうか。
そのうち自分は掴めそうか、まだ無理か、と自問してみる。
型が窮屈になったら、一回り大きな型を創り、また注いでいく。
理想の型を得ることが出来るまで、何度も何度も繰り返す。
それは不思議と心地よいものである。
守・破・離という言葉がある。
この言葉は、日本における師弟関係の理想の在り方を示している。
型を覚え忠実に守り、自己を知り模索し、新たな型を創生する。
独創性は、古い型との闘いである。
既出の思想と自身の人生経験のブレンド、とも言える。
型という限定が、
真に無限の能力を育ててくれるのである。